松山大学女子駅伝部サポーター 土佐 礼子さん

INTERVIEW

松山大学女子駅伝部サポーター
土佐 礼子さん

選手の憧れの存在、OGとして後輩を応援する。

愛媛県松山市生まれの土佐 礼子(とさ れいこ)です。現役時代の約10年間は三井住友海上火災保険㈱(旧:三井海上火災保険㈱) 女子陸上競技部に所属し、東京に住んでいました。2009年に愛媛県松山市に戻り、現在は三井住友海上火災保険㈱ 女子陸上競技部 アドバイザーとして活動しています。松山大学女子駅伝部は夫がコーチを務めている関係で、週末、練習に参加してアドバイスしたりしています。私も、松山大学出身なので彼女たちのOGです。私の学生時代はまだ女子駅伝部がなかったので、陸上競技部の男子の先輩達に交じって走っていました。松山大学女子駅伝部は卒業後、実業団へ進む選手も多く、目標にむかって頑張る彼女たちの身近な存在として、彼女たちの成長を見守り応援しています。

思いがけず始めた陸上競技が人生を変えた

陸上競技を始めたのは高校からです。小・中学校の時はバスケットボールをしていました。高校は松山商業高校へ進学しました。高校で陸上競技を始めたのは、進学コースに所属していたため、補習授業と部活の両立が難しく、バスケットボール部だとチームに迷惑をかけてしまうから。バスケットボールを続けようと思っていた自分にとっては思いがけないきっかけでしたが、良い顧問との出会いもあり、陸上競技を始められて運が良かったと思っています。陸上競技部へ入部した当初は20分走るのも辛いくらいのレベルでしたが、だんだんと走れるようになり、走る楽しさにハマっていきました。高校卒業後、実業団か大学進学か悩んだのですが、インターハイや全国高校駅伝では全く歯が立たなかったため、大学へ行ってからでも遅くないだろうということで、松山大学へ進学しました。大学時代は女子専属の監督がおらず、全国大学女子駅伝へ出場することは出来ませんでした。それでも4年間楽しく走り続けられたので、自分は「走ること」が好きなんだと確信し、実業団を本気で目指そうと思うようになりました。実は、大学時代は高校の時よりもタイムが落ちてしまったので、実業団へ行けるような実力はなく無名の選手だったんです。だけど、何故か根拠のない自信があって「自分は実業団に行ってマラソンランナーになる」と思っていました。実際勧誘してくれるチームはなかったんですけど、ここでも運が良くて、高校の顧問と三井海上(当時)女子陸上競技部の監督が大学の先輩後輩という関係で、なんとか三井海上(当時)へ入社することができました。

マラソン人生の始まりは愛媛マラソン

人生初めてのマラソンは大学3年生の時に出場した愛媛マラソンです。周りから「30キロくらいからキツイよ」と言われていたのですが、実際に走ってみると本当にキツくて、それでも3時間を切るタイムでゴールし、初優勝することができました。ゴールした時に感じた充実感がすごくて、実業団へ行って本格的にマラソンをやりたいと思うきっかけになりました。実際にその想いを叶えることができて良かったなと思っています。世界選手権やオリンピックなどの国際舞台で世界の強豪と戦えたことは、人生の大きな財産になっています。
今後は、全国のマラソン大会に顔を出して市民ランナーの人たちとマラソンを楽しんでいきたいと思っています。コロナ禍で大会も減って、今までマラソンができていたことが幸せだったなと再確認できました。一日でも早く、以前のようにマラソン大会ができる世の中に戻ることを願っています。

実際に経験したからこそ後輩に伝えたいこと

私が大学の時に比べると、松山大学女子駅伝部の選手たちは、主体的に自分達でしっかり練習をやっていける大人のチームになってきたなと感じています。陸上競技をやらされているというのではなく、好きでやっているという姿勢がチームに感じられます。これから自分達でどう陸上競技に向き合って、試合へ挑んでいくか一人一人が考え行動していって欲しいなと思います。実業団選手と比べると、後一歩と思うときもありますが、まだ大学生なので厳しさの中にも楽しさを見つけていってほしいです。結果が全ての世界ではありますが、その過程をしっかり楽しんで欲しいなと思っています。

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